ラウトは眉を寄せた。
食材が集まったらここで、と指定された場所に向かったが、誰もいない。
代わりに木の実や川魚などが辺りに散らばっており、ここで何かあったのだと想像させる。
木にも抉ったような痕が多数残っている。
獣の爪というよりは、刃物で斬りつけたような痕だ。
(ここで何が…………まさか、対象が……!?)
ここにカリンを連れてこなかったのは正解だった。
彼女は間違いなく足でまといになるだろう。
これは全くの偶然だったが、結果オーライといったところだ。
痕を指でなぞり、あらゆる可能性を考える。
だが、先程のことが気になって集中できない。
カリンも驚いていたが、自分自身が一番驚いている。
あんなに取り乱すなんて、『らしく』ない。
雑念も罪悪感も、溜息と共に消えてしまえばいいのに、そう思った。
「キルバス公、上だ!!」
思考をかき消したのは、溜息ではなくイルの切羽詰った声だった。
頭上を確認し、瞬時に体を回転させる。
刃が袖を掠り、腕に小さな傷を付けた。
「っ……! イル!」
「あっははー、ギリギリだねーキルバスこー」
「笑っている場合ですか……! とにかく状況の説明を……」
ラウトの言葉に耳を傾けることなく、イルは辺りを見回した。
目当てのものが見つからなかったようで、不思議そうにラウトを見つめる。
「彼女なら置いてきました。……面倒ですからね」
「ふーん?」
にやにやと腹の立つ笑みで意味ありげに見てくるイルに、ラウトの眉間の皺は濃くなる一方だ。
確かに、いくら面倒だからといって学院の以降に背くような真似をするはずがない。
他に何か理由がない限り、真面目なラウトが彼女を捨て置くはずがないのだ。
つまりそれは、イルの興味の対象。
「面倒だからカリンちゃんのこと置いてきたの? 本当に?」
「っ……だからそうだと言っているでしょう」
「じゃあ額に浮いたその脂汗は何? 珍しいなぁ……君が汗をかくなんて」
斬りつけてきた相手が動かないのをいいことに、核心に迫ろうとする。
その薄紫色の瞳から逃げるように、ラウトは目を逸らした。
「そういう貴方こそ、彼をどこへ置いてきたんですか」
「クラ君のことー? さあね、僕は知らないよ。彼、いきなり走り出したから」
姉の危機でも察知したのだろう。
あの馴れ合い姉弟には反吐が出る。
できるなら関わりたくない連中であり、何を思って院長が二人の世話を押し付けてきたのかは知らないが、迷惑なことこの上ない。
この試験が終わったら絶対に関わらない、そう決めていた。
「さてさてー……どうしますかねー。律儀に待ってくれているようだけど、そろそろ構ってあげちゃう?」
「……いい加減にしてください、イル」
イルを諌めた後、対象へと向き直る。
全身黒ずくめで口元も布で覆っている。
まるで忍者装束のようだ。
黒く艷めいた髪を一つに束ね、紅い瞳でこちらを睨む。
比較的小柄なその人物は、ラウトが本気を出さざるを得なくなるほどの強者。
『対象』に相応しい人物だ、油断はできない。
地を踏み締めた時、視界に映り込んだもの。
その姿に、二人は目を見張った。
対象の後ろに、ここにいるはずのないカリンの姿があった。
両手足を縛られ、寝かされている。
気を失っているようで、ぴくりとも動かなかった。
「ははっ……君、一体どこまで堕ちるつもり? そんな卑怯な手を使ってでも学院に貢献したいの」
イルが乾いた笑みを零す。
瞳の奥で殺意が蠢き、一瞬、薄紫が黄金に変わったように見えた。
二人は、懐からナイフを取り出し、構えた。
相手は一切臆さず、また、一歩も動こうとしない。
カリンの首筋にナイフを当て、こちらを挑発する。
「イル……分かっていると思いますが、あんな挑発には……」
「うん。乗ってみないとね」
「は!? ちょっ……イル!!」
制止の声も聞く耳持たず、イルはナイフを構え飛び出した。
低い体勢で相手の間合いに入り込み、喉元にナイフを突き付ける。
相手は依然、平静を欠かない。
カリンにナイフを突き付けたまま、こちらを見上げている。
「ねえ、その子を離してよ」
「…………」
「あれれ、君って口ついてなかったっけ? それとも、飼い主に喋るなとでも言われてるの?」
その言葉を聞き、対象は目を細めた。
だが、苛立ちが見えたのもその一瞬だけ。
興味なさそうにイルから目を背け、カリンの襟首を掴んだ。
そしてそのまま持ち上げ、肩にかける。
小さな体のどこにそんな力があるのか、自分より身長のあるカリンを持ち上げても涼しい顔をしている。
「相変わらずむかつくなぁ……本当、殺すよ……?」
「イル、いい加減にしてください! これはあくまで入寮試験です、殺し合う必要はない!!」
目の前で命を削り合う二人に、何を言っても無駄だった。
イルの耳には何も届いていない。
ただただ状況を楽しみ、対象への深い念から動いている。
(やはり動きが……)
ラウトはイルの動きに違和感があることに気付いていた。
いつも通り動いているつもりでも、どこか遠慮がちで。
相手はカリンを抱えたまま逃げるだけなのだから、勝機はいくらでもある。
カリンを傷付けないようにしている、とは考えにくい。
イルなら彼女を傷付けず、対象に攻撃を与えることができる。
それだけの実力を持っているのに、今日に限って力を思うように振るえていないようだ。
対象がナイフを避ける度、イルの手が一瞬止まる。
やりにくそうに表情を歪め、小さく舌打ちをした。